ダライラマ法王猊下の 『宝行王正論』講義が行われた
慈愛に満ちた講義内容でした。
心に残ったのは、菩提心の瞑想で
「徳が全ての有情に生じ
苦がすべて自分に生じますように」
全ての菩薩さまや、お地蔵さまとか、人々の苦しみを代わって受けられる代受苦をされておられるけど
自分は、とてもできないと思いました。
意味を忘れてしまったけど、空の瞑想
オン ムニムニ マハムニエ ソワカ
病気を克服する真言だそうです
他にチベット仏教でよく唱えられる
オン マニ ペメ フム
オン タレ トゥトレ ソワハ
も唱えると良いとおっしゃってました
テキストがあるのに後から気が付きました
王への教訓 −− 宝の首飾りといわれるもの ナーガールジュナ(龍樹)作
『宝行王正論』第1章ー第五章ー配布用
http://media.dalailama.com/Japanese/texts/Nagarjuna-Precious-Garland-JPN-2019.pdf
法王猊下のお話とは離れますが(お話にならなかった部分)、
龍樹菩薩のテキストを見て
延々と女性(の死体)がいかに不浄なものか説いた後に
「女性のからだが不浄なものであるように、あなた自身のからだも同様〔に不浄〕である。ゆえに、内と外のものに対する貪欲を離れることが、どうして正しくないと言えるのか」
うーん(゜-゜)
男性は、ここまで思考を巡らさないと執着から逃れられないんですね。
本当に、かえって、男性の煩悩や執着の大変さに思いをいたし、気の毒に思ってしまいました・・・・
こんなすごい煩悩や執着からも解脱されて、女性と交わることなしに、仏道修行に励まれる男性は、偉大だと思います
九相図が必要なわけですね・・・死体だから無理があるけど
龍樹菩薩も「女性の死体」の不浄さを延々と説いておられるけど、生きている女性については、論及してません。
生きていて女性の匂いを嗅いだりしたら、龍樹菩薩の熱弁も虚しくなることはわかりきっているので
ご結婚されてる僧侶は『宝行王正論』の教えに反しているので、『宝行王正論』は説けない・触れられません。
なぜなら、過去の仏教の先達の説かれる教えは、お釈迦さまが説かれたものだとみなしているので、反論はできないそうなので、
僧侶がその教えに背いて、女性と結婚することは、お釈迦さまのお言葉に背くことになるので
やはりダライラマ法王猊下が説いてくださるのは有り難いことだと思いました
女性が煩悩をかきたてるからと、女性とは距離をおく真面目な僧侶もいらっしゃるが
もし、彼女だとしたら、それはそれで、寂しく辛いと思いますが。。。。
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女性のからだの不浄さとそれに対する執着
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女性に対する執着はほとんどの場合、女性の体を美しいと思うことから生じる。しかし、女性の
からだには、清浄さは少しも存在していない。
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〔女性の〕口は、唾液、歯間の歯垢など不浄物の詰まった器であり、鼻は、膿汁、粘液、鼻水の
入った器であり、眼は、目やに、涙の器である。
50
16
腹部は糞や尿、肺や肝臓などの器であり、愚か者は女性をこのように見ず、女性のからだに愛着
を持っている。
51
たとえば、無知な人が不浄物を満たした水瓶の飾りに執着するように、この世のことを知らない
無知な人は、〔迷妄により〕このように〔女性に愛着を〕持っている。
52
からだという対象物は強い悪臭に満ちており、それは愛着を離れる因となる。しかし、世間の
人々は、その〔悪臭にさえ〕強い愛着を持っているのだから、いったいいかなるものに対して愛
着を離れることがあるだろうか。
53
たとえば、豚は糞や尿に満ちた場所や、吐瀉物に執着しているが、それと同様に、人も糞や尿に
まみれたところに欲望を起こし、豚が吐瀉物などに執着しているように、それに対して愛着を持
っている。
54
からだは不浄な〔蛆虫の〕都であり、不浄物が生じる穴のようなものである。それを愚か者は快
楽の対象と呼んでいる。
55
あなたは自分の糞や尿などのそれぞれを不浄物と見ているが、それが集まったからだがどうして
魅力的なものに見えるのか。
56
血液と精子が混ざったことにより、不浄な種子の心髄が生じる。不浄物の本質だと知りながら、
それに対していったい誰が欲望を持ち、執着するだろうか。
57
この不浄物の集まりが湿気に濡れ、それが濡れた皮に包まれて、女性の下腹部の中でそれらの液
体とともにただ横たわっている。
58
容姿のよい者も容姿の醜い者も、年老いた者も年若い者も、いずれの者であっても、すべての女
性のからだは不浄なものなのに、あなたは何に対してそれほど執着を起こすのか。
女性のからだに執着をもってはならない
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もし、不浄物の色がよく、きわめて新鮮で姿がよくても、それに執着する価値はないと思うのと
同様に、女性のからだもまたそのようである。
60
骨の外側は皮膚で覆われており、内側は悪臭を放つこの死体の本質は、きわめて耐え難く現れて
いるように、それをなぜそのように見ないのか。
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17
この皮膚もまた不浄なものではなく、飾りのようなものである、と言ったところで、不浄物の集
まりを包む覆いのように、どうして清浄なものになると言えるのか。
62
不浄物が満ちた水瓶は、たとえ外見は美しくても〔人は〕それを嫌う。不浄物の本質であるから
だは不浄物で満ちているのに、どうしてそれを嫌がらないのか。
63
もしあなたが不浄物を嫌うなら、香水、花輪、飲食物などの清らかなものさえ不浄物にしてしま
うこのからだを、なぜ厭わないのか。
自分のからだも不浄である
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自分や他者の不浄物が嫌われるように、自分や他者の不浄なからだは、なぜ嫌われないのか。
65
女性のからだが不浄なものであるように、あなた自身のからだも同様〔に不浄〕である。ゆえ
に、内と外のものに対する貪欲を離れることが、どうして正しくないと言えるのか。
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九つの門から、自分は不浄物を流し出している。自分でいくら洗い清めても、からだが不浄なも
のであることを理解しなければ、あなたに説明しても何の利益になると言うのか。
(九門:両目、両耳、両鼻孔、口、大小の排泄器官のこと)
女性のからだを称える愚かさについて
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この不浄なからだに美しい詩を作るとは、あぁ、何と慎しみのないことか。あぁ、何と愚かなこ
とか。あぁ、人としてどれほど恥ずかしいことか。
68
無知の暗闇に覆われている人々は、この世においてほとんどが〔女性のからだを貪る〕欲望のた
めに諍いを起こし、不浄物のために犬のように争っている。
発疹のたとえ
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たとえば、発疹を掻くと楽(幸せ)になるけれど、それよりも発疹がなければもっと楽である。
それと同様に、世間の人々は欲望が満たされると楽(幸せ)になるけれど、欲望がなければそれ
よりも楽である。
70
もし、あなたがこのように考察するならば、貪欲を離れることを達成していなくても、貪欲は抑
制され、それによって女性への愛着はなくなる。