2024年8月16日金曜日

シャンカ欲しいな

 シャンカ欲しいな


法螺がけっこう重いから、法螺の代わりに遍路の勤行で使おうとシャンカが欲しいなと思って探したら

ピンキリだけど良さそうなのが1700ルピーくらいで、

1000ルピーはいくらだろう?と調べたら今1700円くらいで、

シャンカ約3000円くらい


これって安いのか高いのかよくわからない

2024年6月10日月曜日

袈裟だけはお釈迦の精神を受け継ぎたいので如法衣作る

袈裟だけはお釈迦の精神を受け継ぎたいので如法衣作る 


如法衣は買わなければならない 
仏具を揃えるのにもお金がかかる 

 本来持ち物を捨てていくはずの仏教は、仏具にお金がかかる・・・ 

 如法衣はもともと糞掃衣(ふんぞうえ)で、汚れたり捨てたりしていた布の使える部分を張り合わせて作ったものだ 

 お釈迦様が田んぼのような袈裟を作れないかということで作られたので、田相衣(でんそうえ)福田衣(ふくでんえ)とも言うらしい 

 本来だったら、捨ててしまう布で作られらた袈裟 現代は仏道修行にもお金がかかるけど、せめて袈裟だけはお釈迦の精神を受け継ぎたいなあと思った 

 だから自分で作ってしまえば良いと思った 

 タンスの中の布を探す 

 以前、鈴懸に仕立てようと大麻(ヘンプ)の柿渋染めしたものがあった 大麻だし、
これ使えないかな? 

 一般的な袈裟は木蘭染めのものが多い 柿渋色でこれでも良いけど 色味としては似てるので、木蘭色っぽく染めるには・・・??? 
 せっかくだら薬草で染めたい 

 もう、柿渋で染まっているので、黄色味を出すには??? 
 おおっ、出羽三山神社の薬湯の元がある!! 
 この薬湯は白衣につくと黄色くなって、落ちにくい これで染めてみよう!! 
 柿渋も薬湯も洗濯しても落ちにくいから、ちょうど良いかも


2022年9月18日日曜日

護身法は効くのだ

 最近、パソコンをやっとWindows10にかえた

変えたら、漢字変換するとやたらフリーズするようになってしまった

困る


何となく、護身法の拍手と指パッチンで動かないかなあ、とやってみたら動き出した!!

ずっとエンターキー押したりしてもうごかなかったのが、急に動き出してびっくりした


しばらくしたら、また止まった

また指パッチンした

また動き出した


パソコンに余程ゴミが溜まっていたんだなあと

ネットだから、見えないゴミも溜まってるかもしれないし


でも、継続は力なりかもしれない

護身法も毎日、何度もしてるから、威力がようやくついてきたのかもしれない

毎日コツコツ大事だなあ

2020年5月12日火曜日

慧春尼 仏教と女性の地獄

 慧春尼は

「了庵慧明禅師の妹で絶世の美人。教えを慕い慧明禅師に入門を願ったが許されず、自分の美貌が妨げになるのならと、焼け火箸を顔に当て「我が心を示せせり」と弟子入りを願った。多くの修行を積み重ね参道入り口付近に三格庵「摂取庵」「正寿庵」「慈眼庵」を開創し修行の道場とし、参拝者に教えを説いた。応永9年3月23日(1402)山門前に薪を井桁に組み枯れ芝を敷き自ら火を付け火定されました。」
https://daiyuuzan.or.jp/%E6%85%A7%E6%98%A5%E5%B0%BC%E5%A0%…/
より

この方の話を学生時代に読んだ

慧春尼は、焼け火箸で顔を焼いてもなお美しいので、若い僧侶に口説かれ、公衆の前に裸で進み出て、その僧侶に「さあ、いまここであなたの思いを遂げなさい」と呼ばわり、その僧は恥ずかしさのあまり山を降りた。
最後に火定されたときは、兄の慧明禅師がオロオロして
「尼よ、尼よ、熱くはないか」と呼ばわると
「熱い寒いは知ったことではありません」と答えて入定された。

という内容で強烈に心に残った。

今日のダライラマ法王猊下の『宝行王正論』の講義、


王への教訓 −− 宝の首飾りといわれるもの ナーガールジュナ(龍樹)作
http://media.dalailama.com/…/Nagarjuna-Precious-Garland-JPN…


を学んでもなんのその、男性僧侶は、女性に心惹かれるものなのだろう。

『宝行王正論』も九相図も、「女性の死体」の話であって、生きている女性ではないので無理があるのだろう。


子供の頃、お釈迦さまの花祭で、『地獄絵図』を見せられ、女性は子供を産んでも血の池地獄に落ち、産まなくても地獄で素手で竹の根を掘らされると聞いて、

仏教は、男性優先(昔の田舎は特に)のこの世で生きてても辛いのに、死して女性は全員、地獄に行くと説く。

保育園児の私は恐怖に陥り、仏教は女性を生き地獄に突き落とすとんでもない宗教だと思った。あまりに怖いので、キリスト教徒になりたかった。
子供の私は、仏の教えを恐怖し、激しく憎んだ。


お釈迦さまの後進の教えも含めた全てが仏教だというのなら、中には間違った教えをも入っている、と言ってほしい

今は表立って、女性は全員地獄に行くと説いたら、時代錯誤の女性差別だと猛反発を食らって、仏教離れは必定なので、
僧侶もそんな事を言う人はいないだろう

けど、きっと仏教界ではまだ女性差別が残っているのだろう。





若い僧侶(優婆塞)たちよ

仏教の教えにも男尊女卑の名残の間違った教えも紛れ込んでいるということも教えて、私のような女性を救っておくれ

(暗いし、僧侶には嫌がられる内容かもしれないけど、人まかせにしないで、自分も書こうと思う)



そして仏教界も、女性に対して、女性は全員地獄に行くと言う救いの無い間違った教えを千年以上流布してきたことを公にし、懺悔し、訂正してもらいたいのだ

(熊野比丘尼の『血盆教』という免罪符のようなものもあるけど、血盆経がない人はどうなるのだろう・・・?
一応、如意輪観音さんが血の池に出現されて、血盆教で苦しむ女性を救ってくださるというストーリーにはなってるみたいだけど、
それでも、日本仏教の設定は、女性は全員地獄に行くことになっている。 仏教界がそれは間違った教えだと訂正も懺悔もしていないから )

そして、女性も生きていても菩薩行ができるし、龍女のように変性男子とならずとも、極楽往生できると説いて欲しい

今の若い人は私のような男尊女卑差別されたことがないから、わからないかもしれないけど、変性男子を強烈に願った昔の人の思いはわかります。


<追記>
「慧春尼は女人救済の悲願ありて、祈願すれば必ず感応有」だそうです。
慧春尼は、仏教を学ぶにも女性だと足かせをはめられてしまったから、強く女人救済を願われたのだろう

この騒ぎが収まれば、お参りにいきたいと思います

2016年4月11日月曜日

ダライラマ法王猊下 『宝行王正論』講義に寄せて

 ダライラマ法王猊下の 『宝行王正論』講義が行われた


慈愛に満ちた講義内容でした。


心に残ったのは、菩提心の瞑想で

「徳が全ての有情に生じ
 苦がすべて自分に生じますように」

全ての菩薩さまや、お地蔵さまとか、人々の苦しみを代わって受けられる代受苦をされておられるけど
自分は、とてもできないと思いました。

意味を忘れてしまったけど、空の瞑想
オン ムニムニ マハムニエ ソワカ
病気を克服する真言だそうです

他にチベット仏教でよく唱えられる
オン マニ ペメ フム
オン タレ トゥトレ ソワハ

も唱えると良いとおっしゃってました


テキストがあるのに後から気が付きました
王への教訓 −− 宝の首飾りといわれるもの ナーガールジュナ(龍樹)作

『宝行王正論』第1章ー第五章ー配布用
http://media.dalailama.com/Japanese/texts/Nagarjuna-Precious-Garland-JPN-2019.pdf






法王猊下のお話とは離れますが(お話にならなかった部分)、
龍樹菩薩のテキストを見て
延々と女性(の死体)がいかに不浄なものか説いた後に

「女性のからだが不浄なものであるように、あなた自身のからだも同様〔に不浄〕である。ゆえに、内と外のものに対する貪欲を離れることが、どうして正しくないと言えるのか」

うーん(゜-゜)

男性は、ここまで思考を巡らさないと執着から逃れられないんですね。
本当に、かえって、男性の煩悩や執着の大変さに思いをいたし、気の毒に思ってしまいました・・・・

こんなすごい煩悩や執着からも解脱されて、女性と交わることなしに、仏道修行に励まれる男性は、偉大だと思います

九相図が必要なわけですね・・・死体だから無理があるけど


龍樹菩薩も「女性の死体」の不浄さを延々と説いておられるけど、生きている女性については、論及してません。
生きていて女性の匂いを嗅いだりしたら、龍樹菩薩の熱弁も虚しくなることはわかりきっているので

ご結婚されてる僧侶は『宝行王正論』の教えに反しているので、『宝行王正論』は説けない・触れられません。

なぜなら、過去の仏教の先達の説かれる教えは、お釈迦さまが説かれたものだとみなしているので、反論はできないそうなので、
僧侶がその教えに背いて、女性と結婚することは、お釈迦さまのお言葉に背くことになるので

やはりダライラマ法王猊下が説いてくださるのは有り難いことだと思いました


女性が煩悩をかきたてるからと、女性とは距離をおく真面目な僧侶もいらっしゃるが
もし、彼女だとしたら、それはそれで、寂しく辛いと思いますが。。。。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

女性のからだの不浄さとそれに対する執着
48
女性に対する執着はほとんどの場合、女性の体を美しいと思うことから生じる。しかし、女性の
からだには、清浄さは少しも存在していない。
49
〔女性の〕口は、唾液、歯間の歯垢など不浄物の詰まった器であり、鼻は、膿汁、粘液、鼻水の
入った器であり、眼は、目やに、涙の器である。
50
16
腹部は糞や尿、肺や肝臓などの器であり、愚か者は女性をこのように見ず、女性のからだに愛着
を持っている。
51
たとえば、無知な人が不浄物を満たした水瓶の飾りに執着するように、この世のことを知らない
無知な人は、〔迷妄により〕このように〔女性に愛着を〕持っている。
52
からだという対象物は強い悪臭に満ちており、それは愛着を離れる因となる。しかし、世間の
人々は、その〔悪臭にさえ〕強い愛着を持っているのだから、いったいいかなるものに対して愛
着を離れることがあるだろうか。
53
たとえば、豚は糞や尿に満ちた場所や、吐瀉物に執着しているが、それと同様に、人も糞や尿に
まみれたところに欲望を起こし、豚が吐瀉物などに執着しているように、それに対して愛着を持
っている。
54
からだは不浄な〔蛆虫の〕都であり、不浄物が生じる穴のようなものである。それを愚か者は快
楽の対象と呼んでいる。
55
あなたは自分の糞や尿などのそれぞれを不浄物と見ているが、それが集まったからだがどうして
魅力的なものに見えるのか。
56
血液と精子が混ざったことにより、不浄な種子の心髄が生じる。不浄物の本質だと知りながら、
それに対していったい誰が欲望を持ち、執着するだろうか。
57
この不浄物の集まりが湿気に濡れ、それが濡れた皮に包まれて、女性の下腹部の中でそれらの液
体とともにただ横たわっている。
58
容姿のよい者も容姿の醜い者も、年老いた者も年若い者も、いずれの者であっても、すべての女
性のからだは不浄なものなのに、あなたは何に対してそれほど執着を起こすのか。
女性のからだに執着をもってはならない
59
もし、不浄物の色がよく、きわめて新鮮で姿がよくても、それに執着する価値はないと思うのと
同様に、女性のからだもまたそのようである。
60
骨の外側は皮膚で覆われており、内側は悪臭を放つこの死体の本質は、きわめて耐え難く現れて
いるように、それをなぜそのように見ないのか。
61
17
この皮膚もまた不浄なものではなく、飾りのようなものである、と言ったところで、不浄物の集
まりを包む覆いのように、どうして清浄なものになると言えるのか。
62
不浄物が満ちた水瓶は、たとえ外見は美しくても〔人は〕それを嫌う。不浄物の本質であるから
だは不浄物で満ちているのに、どうしてそれを嫌がらないのか。
63
もしあなたが不浄物を嫌うなら、香水、花輪、飲食物などの清らかなものさえ不浄物にしてしま
うこのからだを、なぜ厭わないのか。
自分のからだも不浄である
64
自分や他者の不浄物が嫌われるように、自分や他者の不浄なからだは、なぜ嫌われないのか。
65
女性のからだが不浄なものであるように、あなた自身のからだも同様〔に不浄〕である。ゆえ
に、内と外のものに対する貪欲を離れることが、どうして正しくないと言えるのか。
66
九つの門から、自分は不浄物を流し出している。自分でいくら洗い清めても、からだが不浄なも
のであることを理解しなければ、あなたに説明しても何の利益になると言うのか。
(九門:両目、両耳、両鼻孔、口、大小の排泄器官のこと)
女性のからだを称える愚かさについて
67
この不浄なからだに美しい詩を作るとは、あぁ、何と慎しみのないことか。あぁ、何と愚かなこ
とか。あぁ、人としてどれほど恥ずかしいことか。
68
無知の暗闇に覆われている人々は、この世においてほとんどが〔女性のからだを貪る〕欲望のた
めに諍いを起こし、不浄物のために犬のように争っている。
発疹のたとえ
69
たとえば、発疹を掻くと楽(幸せ)になるけれど、それよりも発疹がなければもっと楽である。
それと同様に、世間の人々は欲望が満たされると楽(幸せ)になるけれど、欲望がなければそれ
よりも楽である。
70
もし、あなたがこのように考察するならば、貪欲を離れることを達成していなくても、貪欲は抑
制され、それによって女性への愛着はなくなる。